モロヘイヤ効果研究所

橋本ゆきみ × 小松あき モロラボ・スペシャル オンライン対談

クレオパトラは、本当にモロヘイヤを食べていたのか?

クレオパトラは、本当にモロヘイヤを食べていたのか?クレオパトラは、本当にモロヘイヤを食べていたのか?

謎だらけのモロヘイヤ。

モロヘイヤが日本で広まったのは、1980年代以降。

アラビア語と中東文化の研究者であった故飯森嘉助さんが、1980年代に「全国モロヘイヤ普及協会」を設立し、普及に努めたおかげで、今では、ほぼ全国でモロヘイヤが栽培されるようになっています。

しかし、モロヘイヤの原産地や、いつ頃からどの地域で食べられていたのかなど、正確にわかっていないことも多く、実は「謎」が多い野菜なのです。

インターネットでモロヘイヤについて調べると、こんな記述がよく出てきます。

・エジプトで5000年前から食べられていた
・古代エジプトの王様の病気が、モロヘイヤを食べて治った
・クレオパトラの好物だった

特に「クレオパトラが好んで食べた」という記述は、非常に多く見受けられます。みなさんも「クレオパトラがモロヘイヤを食べていた」という話を聞いたことがあるのではないでしょうか?

アラブの食文化研究家×古代エジプト研究者
モロヘイヤの起源を探るオンライン対談

今回、シリア・エジプトでの生活経験があるアラブの食文化研究家、小松あきさんと、駒澤大学大学院で古代エジプトを研究されていて、昨年『ゆるゆる神様図鑑 古代エジプト編』というエジプトの神様の解説本を出版された橋本ゆきみさん、お二人のオンライン対談が実現しました。

モロヘイヤにまつわる、さまざまな謎について、お二人のご意見を聞いてみよう、という企画です。

小松あきさんは、ご自身のブログ「アラブでお菓子のハナシ、ゴハンの時間」で、「モロヘイヤの起源と中世のレシピ」というタイトルの記事を公開しています。

モロヘイヤの起源について、さまざまな角度から考察されていて、たいへん読み応えのある内容です。ぜひ一度、読んでみてください。

エジプト・シリアの食の専門家と古代エジプトの歴史研究者の対談。
はたして、クレオパトラはモロヘイヤを食べていたのでしょうか?

モロラボ・スペシャル オンライン対談

それでは早速ですが、小松さん、あのブログを書かれたきっかけを教えていただけますか?

小松さん:モロヘイヤというと「クレオパトラが食べていた」「古代エジプトの時代から食べられていた」「昔は王様の野菜とされていた」など、いろいろ言われていますが、それらの話がどこから来ているのか … 証拠と言えるような情報はなかなか見あたりません。「本当なのだろうか」と思って調べ出したのがきっかけです。

謎1:エジプトでもモロヘイヤと呼ばれているのか?

「モロヘイヤ」には「王様の野菜」という意味がある、という記述を時々見かけますが、それは正しいのでしょうか?
そもそもモロヘイヤは、エジプトの言葉で、何と言いますか?

小松さん:「モロヘイヤ」です。「へ」が、少しかすれたような発音になりますが、ほぼ日本でのモロヘイヤと同じ発音で、これはシリアでも同じです。モロヘイヤという言葉自体には「王様の野菜」という意味はありません。

アラビア語の「ムルーキーヤ」という言葉が訛ったという説もあります。確かに「ムルーキーヤ」には「王様のもの」という意味があります。

ただ、古代エジプトの時代にはアラビア語は存在していないので、古代エジプトの時代にモロヘイヤがあったとしても、「モロヘイヤ」とは呼ばれていないことになります。

謎2:「モロヘイヤ禁止令」は本当にあったのか?

小松さんのブログにも書いてある「モロヘイヤ禁止令」の話は、史実と考えてよいのでしょうか? ファーティマ朝第6代カリフ※1のハーキム(996年〜1021年)が、モロヘイヤを食べることを禁止したという話ですが。

※1 カリフ:イスラム国家の指導者、最高権威者の称号で、預言者ムハンマドの後継者とされる人のこと。

10世紀後半のイスラーム世界

10世紀後半のイスラーム世界の地図。ファーティマ朝は、第4代カリフ、ムイッズの時代にエジプトを征服し、カイロを建設、遷都した。

小松さん:はい。この話は、多くの文献に出てきます。

ファーティマ朝は、10世紀から12世紀まで、北アフリカを支配したイスラム王朝で、シーア派の王朝です。シーア派の人々は、シーア派初代の指導者であるアリー(600年頃〜661年)を敬愛しています。

このアリーの政敵とも言える人物が、スンニ派のウマイヤ朝を創設したカリフ、ムアーウィヤ(603年頃〜680年)です。このムアーウィヤの好物がモロヘイヤだったことを嫌悪して、ハーキムは領民がモロヘイヤを食べることを禁止したという説です。

この禁止令を出したハーキムを神格化して崇めるドゥルーズ派という宗派があるのですが、ドゥルーズ派の人々の中には、今でもモロヘイヤを食べない人がいるそうです。このことからも、モロヘイヤ禁止令は実際にあった史実だと思います。

ハーキムは、ムアーウィヤの没後300年も経ってから生まれた人ですね。300年も前の人への恨みで禁止令を出すとは、シーア派とスンニ派の対立には凄まじいものがありそうですね。

小松さん:そうですね。でも、この禁止令の記録のおかげで、ウマイヤ朝時代の7世紀半ば頃にはイスラム世界でモロヘイヤが食べられていたことがわかります。

謎3:古代エジプトの王様の病気はモロヘイヤで治ったのか?

「モロヘイヤ禁止令」と並んでよく耳にするのが、「病気で苦しんでいた、古代エジプトの王様がモロヘイヤを食べて治った」というエピソードです。
この話はどの王様の話なのでしょうか?実話と考えていいのでしょうか?

小松さん:これは、ファーティマ朝第4代カリフ、ムイッズ(在位953年〜975年)の話です。医者に勧められて食べたモロヘイヤで、体調不良が回復したということで、いろいろな文献にでてくる話です。

ただ、これは10世紀後半の話であって古代エジプトの話ではありません。

古代エジプトとは、紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が共和制ローマに滅ぼされるまでの期間を指します。
クレオパトラやクフ王のピラミッドなど古代エジプトの印象が強すぎて、「エジプト」という言葉から「古代エジプト」を連想してしまう人が多いのかもしれません。

イスラム王朝の王様だと、イメージはかなり違ってきますね。
ムイッズのことを「エジプトの王様」と呼んでもよいのでしょうか?

小松さん:ファーティマ朝は、現在のチュニジアのあたりで始まった王朝ですが、第4代カリフのムイッズの時代にエジプトを征服して、新しい都カイロを建設しています。ムイッズ以降は、エジプトを中心に支配を行っていますので、「エジプトの王様」で、間違いではないと思いますが … 。

正確には「王様」ではなく「カリフ」です。

現在のエジプトのあたりを「エジプト」と呼ぶようになったのは、いつ頃からなのでしょうか?

橋本さん:「エジプト」という名前は、ギリシア語の読みからきています。

古都メンフィスに「フート・カア・プタハ」(古代エジプト語で「プタハ神の魂の神殿」の意)という神殿があったのですが、古代エジプトの歴史家マネトが「フート・カア・プタハ」を「アイギュプトス」とギリシャ語訳しています。

この「アイギュプトス」が「エジプト」の語源だと考えられています。

それはいつ頃の話でしょうか?

橋本さん:マネトは、プトレマイオス朝の頃に「エジプト史(アイギュプティカ)」を著した歴史家で、紀元前3世紀頃の人です。

そうすると、それより前は「エジプト」ではなかった…?

橋本さん:それより前の時代の古代エジプト人による呼び方は「ケメト」(黒い土地)です。人々が住んだナイル川流域を表します。

謎4:古代エジプトの壁画にモロヘイヤは描かれているのか?

飯森嘉助さんの著書『新健康野菜モロヘイヤ』の中に、「モロヘイヤ料理の作り方が、ファラオの墓の壁画に描かれていると、エジプトでは一般に信じられている」という記述がありますが、ファラオの墓の壁画にモロヘイヤは描かれているのでしょうか?

橋本さん:今回、モロヘイヤが描かれていたという記述がないか探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。

橋本さんは、ご自身のTwitterで、古代エジプトの墓でスイカの壁画が見つかったニュースや、養蜂の様子が描かれた壁画などを投稿されていましたね。壁画には、当時の人々が食べていた食材がたくさん描かれているのでしょうか。

橋本さん:はい、そうです。ぶどうやパン、小麦粉などの食材も描かれています。主に王が神様にお供えするものが描かれていて、そういったものは、身分の高い人たちの食べ物だったはずです。

庶民の食べ物について、何か他に手がかりはありますか?

橋本さん:古代エジプトではないのですが、1世紀頃の古代ローマの博物学者プリニウス(23年〜79年)が書いた『博物誌』の中に、エジプトで食用とされている野生植物としてモロヘイヤが載っています。
もちろん「モロヘイヤ」ではなく、当時のラテン語の「コルコルス(corchorus)」という名称です。日本語の訳書では「ゼニアオイ」「シマツナソ」と書かれています。

「corchorus」はツナソ類の植物のことで、もし、これが現在食べられているモロヘイヤのことであれば、1世紀頃のエジプトで食用とされていたということになります。

栽培されていたわけではないのですね。でも、クレオパトラの時代に迫ってきましたね。

プリニウス「博物誌」

プリニウスの『博物誌』(神戸市立中央図書館蔵)

右の赤い表紙が、雄山閣版『プリニウスの博物誌』(全3巻)の第2巻(1986年)。
左が八坂書房版『プリニウス博物誌』の「植物薬剤篇」(1994年)。

雄山閣版『プリニウスの博物誌』は、ロウブ版の英訳からの重訳。
八坂書房版『プリニウス博物誌』は、大槻真一郎氏責任編集による、日本で初めてのラテン語原典からの全訳。『博物誌』の第12巻から第19巻までをまとめた「植物篇」と第20巻から第27巻までをまとめた「植物薬剤篇」がある。

どちらも、『博物誌』第21巻「花と花輪の性質」「花と花冠」の章に、エジプトで食べられている野生植物が列挙されており、その中に「モロヘイヤ」と思われる植物名が載っている。

雄山閣版『プリニウスの博物誌』では「コルコルス<ゼニアオイ>(P.928)」と記載があり、八坂書房版『プリニウス博物誌』では「コルコルス(シマツナソ)(P.105)」と記載されている。

当時のエジプトには、食用にできる自生する野生植物が、たいへん豊富に存在したことが記されている。

謎5:モロヘイヤは5000年前から食べられていたのか?

エジプトでは5000年前からモロヘイヤが食べられていたのか、についてですが、5000年前というと、どのあたりの時代になりますか?

橋本さん:紀元前3000年ですので、エジプト第1王朝が始まった頃になります。

プリニウスから、さらに3000年前ということになりますが、エジプト第1王朝でモロヘイヤが食べられていた、なんていう資料はないですよね。

橋本さん:… と、思います。

小松さんのブログには、古代エジプトでのモロヘイヤにまつわるエピソードとして、ヒクソスの話が紹介されていますね。

小松さん:古代エジプトではモロヘイヤは有毒だと考えられていて、ヒクソスがエジプトを侵略した際、毒と知りながら住民にモロヘイヤを食べさせたところ、実は毒がないことがわかった、という話です。

曖昧な部分もありますが、古代エジプトにおけるモロヘイヤに関する最古の逸話かもしれません。

これは、いつ頃の話になりますか?

小松さん:紀元前17世紀から16世紀頃になると思います。

毒とわかって食べさせるとは残酷ですが、この逸話に登場するヒクソスとはどのような民族だったのでしょうか?

橋本さん:ヒクソスは、シリア・パレスチナ地方から流入したアジア系の移民です。
エジプトの侵略者のように書かれることが多いのですが、いきなり侵略してきたのではなく、かなり前から、少しずつナイル河流域に入ってきて住みつき、土着の人たちの間に溶け込んで生活していたと考えられています。

エジプト第15王朝はヒクソスが支配した王朝なのですが、ヒクソスがエジプト文化を排斥したという記録も見つかっておらず、むしろ支配した土地の人々の文化や生活を尊重したと言われています。

ヒクソスはもともと馬や戦車を使う高い技術をもっていたため、結果的にそれらをエジプトにもたらした民族としても知られています。

「エジプトを侵略した野蛮人」というイメージは、その後の新しい支配者によって作られたものかもしれません。

なるほど。支配者が変わると、歴史を都合よく書き変えてしまうことは、よくあるようですね。ただ、このようなエピソードが言い伝えられているということは、その時代にはエジプトにモロヘイヤがあったのかもしれませんね。

謎6:クレオパトラは、モロヘイヤを食べていたのか?

では、いよいよ、クレオパトラはモロヘイヤを食べていたのか、についてですが、何か、歴史的な資料のようなものはあるのでしょうか?

橋本さん:残念ながら、クレオパトラが生きた時代やそれより古い時代に古代エジプトでモロヘイヤを食用としていたことを示すテキストや図像などの明確な証拠は見つけられず、現時点では彼女が食べていたと断言するのは難しそうです。

エジプトの強い日差しは栽培に向いていそうですし、スープは古代から焼かれていたパンにも合うと思うのですが … 。

パンは古代エジプトから古代ギリシャ、ローマへと伝わったようですね。

橋本さん:はい。ただ、古代エジプトは地中海世界だけでなく、東方世界とも文化的、物質的な交流がありました。もしクレオパトラの時代にすでに現在のシリアなどに当たる小アジアでモロヘイヤの栽培、食用があったならば、美容家でもあった彼女は栄養価の高いこの野菜に興味を持ったかもしれませんね。

なるほど。小松さんは、いかがですか?

小松さん:そうですね、私も、残念ながら、食べていなかったと思います。
壁画等に当時の食べ物や習慣などの描写が多く残っていますが、モロヘイヤ、またはモロヘイヤと思われるものが今のところ見つかっていない、というのが理由です。

もちろん、当時の全てが壁画等に残されているわけではないはずですので、発見されていないからと言って、存在しなかったとは言い切れませんが。

少なくとも「クレオパトラの好物だった」というのは、信憑性が薄いように感じます。

「好物」だったら、何らかの記録が残ってもよさそうですよね。

小松さん:古代エジプト時代以降のエジプトは、ファラオ時代の思想や文化、習慣とは全く異なる道を歩んでいます。モロヘイヤを食す文化は、中世以降に開花したものと考えるほうが自然ではないでしょうか?

古代エジプトというのは、その他のどんな歴史よりも魅力的であることは間違いありません。エジプト=古代エジプト、と結び付けて想像されてしまうのは、ある意味当然かもしれません。

クレオパトラとモロヘイヤを結び付けてしまうのは、悪く言えば安易ですが、モロヘイヤは、きらきらした神秘的なクレオパトラと同等の魅力があるということなのだと思います。

小松さん、橋本さん、本日はありがとうございました。モロヘイヤの謎に迫ることができて、楽しい対談になりました。

小松あきさん プロフィール

アラブ料理とお菓子の研究家。調理師学校卒業後、ロンドン、東京のレストランに勤務。アラブの食文化、特にお菓子に興味を持ち2008年シリアへ渡る。シリアに2年半、エジプトに7年滞在。アラブ、中東各地に足を運び、お菓子工房や地元のお母さんから家庭料理やお菓子を学ぶ。2019年3月より日本に拠点を移し活動中。

橋本ゆきみさん プロフィール

古代エジプトが好きな駒澤大学院生。駒澤大学古代エジプト研究会所属。デビュー作『ゆるゆる神様図鑑 古代エジプト編』。SNSで古代エジプトをゆるく紹介。LINEスタンプ「ゆるゆる古代エジプト神様スタンプ」発売中。

『ゆるゆる神様図鑑 古代エジプト編』

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