モロヘイヤ効果研究所
モロヘイヤの基礎知識

モロヘイヤの歴史

非常に古くから食用とされてきたモロヘイヤですが、誰がいつ頃から食べ始めたのか、どのように広まったのかなど、その歴史を記した文献は多くありません。

モロラボでは、主に、飯森嘉助氏の著書『新健康野菜 モロヘイヤ』の内容に基づいて、食用としてのモロヘイヤの歴史を大まかにまとめています。

飯森嘉助氏は、アラビア語の言語学者であり、「モロヘイヤ普及協会」を作って、日本におけるモロヘイヤの普及に貢献した方です。

『新健康野菜 モロヘイヤ』飯森嘉助 著

モロヘイヤの原産地

(飯森嘉助 著 『新健康野菜 モロヘイヤ』より)

モロヘイヤの原産地は「インド西部または、アフリカのコルドファン地方(現在のスーダン共和国の中央部)から熱帯アフリカにかけて」とされており、かなり広い地域で自生していたようです。

一方、バングラデシュ国農業原書では、モロヘイヤと同じアオイ科で、主に繊維の原料となるツナソ(ジュート)と、モロヘイヤの原産地が、分けて特定されています。日本熱帯農業学会の会員で熱帯農業を専門に研究されていた日高健一氏によると、この農業原書には、「ツナソの原産地はインドおよびマレーシアであり、モロヘイヤの原産地はアフリカである」と書かれているそうです。

モロヘイヤの語源

(飯森嘉助 著 『新健康野菜 モロヘイヤ』より)

「昔、王の病がモロヘイヤのスープを飲むことで全快したために、このスープをムルキーヤ(mulukhiyya)=王家のスープと名付け、その野菜そのものもムルキーヤ(王様の野菜)と呼ぶようになった。やがて庶民の間で発音がなまり、ムルヘーヤとなって、親しまれるようになった」という話が伝えられています。

しかし、言語学者である飯森氏は、ギリシャ語でゼニアオイを表す「Malachi」を語源とし、「Malachi」が、アラビア語で王達を表す「Muluku」と言語学的に似ていることや、アラビアの王達がモロヘイヤを好んで食べたことからも、2つの言葉をかけて「Malachi」を「ムルキーヤ(mulukhiyya)」と命名したのではないか、と述べています。

※ゼニアオイは英語でmallow、モロヘイヤの英語名はJew’s mallow。キプロス島のギリシャ系住民は現在も好んでモロヘイヤを食べているようです。

歴史に登場するモロヘイヤ

いつ頃から食べられ始めたのか、栽培が始まったかは不明

「モロヘイヤは古代エジプトの時代から食べられていた」とか「5000年前から食べられていた」という記述を見かけますが、裏付ける史実は確認されていません。

プリニウスの『博物誌』にモロヘイヤと思われる植物が登場(1世紀)

古代ローマの博物学者プリニウス(西暦23年〜79年)が書いた『博物誌』には、モロヘイヤの学名として残っているラテン語の「コルコルス(corchorus)」が、「エジプトで食用とされている野生植物」として紹介されています。1世紀なので約2000年前のことです。

プリニウスの『博物誌』

クレオパトラは食べたかもしれないが、証拠は無い(紀元前1世紀)

「クレオパトラがモロヘイヤを食べていた」という逸話をよく聞きます。クレオパトラの生きた時代は紀元前1世紀で、『博物誌』よりわずか100年ほど前。証拠はないものの、クレオパトラが食べていた可能性は否定できません。

モロヘイヤを食べて病気が治ったエジプトの王様(10世紀後半)

7世紀頃から、北アフリカの地中海沿岸地域はイスラム勢力によって支配されていきます。この王様とは、イスラム王朝、ファーティマ朝の第4代カリフ、ムイッズ(在位953年〜975年)のこと。ムイッズの病気がモロヘイヤを食べて回復したという話は、いろいろな文献にでてくる信憑性のある話のようです。

モロヘイヤを食べて病気が治ったエジプトの王様

多くの文献に残る「モロヘイヤ禁止令」(11世紀)

「モロヘイヤ禁止令」を発令したのは、シーア派のイスラム王朝、ファーティマ朝の第6代カリフ、ハーキムです。

ハーキムは、シーア派の初代指導者アリーを敬愛しており、アリーの政敵で、スンニ派のウマイア朝カリフ、ムアーウィヤの好物がモロヘイヤだったことを嫌悪して、モロヘイヤを食べることを禁止していたという説です。

ハーキムから見てムアーウィヤは300年も前の人物。300年越しの恨みが、シーア派とスンニ派の対立の激しさを物語っています。

日本におけるモロヘイヤの歴史

戦前に栽培されていたジュートは、モロヘイヤなのか?

モロヘイヤの和名は縞綱麻(シマツナソ)。漢字を見てわかるように、麻の仲間です。麻の仲間には、亜麻(リネン)、苧麻(ラミー)、大麻(ヘンプ)、黄麻(ジュート)などがあります。

ジュートは天然素材の繊維で熱帯や亜熱帯地域で生産されており、インドやバングラデシュ、中国、ネパールなどで生産されています。

黄麻だけでなく、モロヘイヤもジュートの一種とされています。しかし、できる繊維の品質は黄麻のジュートのほうが上で、モロヘイヤは2級品とされています。

日本でも戦前から、一部の南の地域でジュートが栽培されていたという説がありますが、それが黄麻なのかモロヘイヤだったのかはわかりません。

野菜として日本に紹介されたのは1980年代

(飯森嘉助著 『新健康野菜 モロヘイヤ』より)

前述のように、野菜としてのモロヘイヤの普及には、エジプト滞在中にモロヘイヤを知った飯森嘉助氏と、飯森氏が帰国後に設立した「モロヘイヤ普及協会」の功績が大きいようです。

モロヘイヤ普及協会による、1979年のビタミンの栄養分析、そして1983年のミネラルの栄養分析の結果、モロヘイヤが抜群の栄養野菜であることが判明しました。

また、約7年に及び日本各地でモロヘイヤの試作や試食会を行った結果、日本でも栽培できそうなこと、そして日本風の食べ方ができることなどが判明してきたため、日本での普及が始まったとされています。

いわゆる「健康ブーム」も追い風になり、1980年代半ばからは、モロヘイヤの認知度は急速に高まりました。

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